
国際連合に対するサダム・フセインの抵抗
2002年9月12日
序文
「欺まんと抵抗の10年」は、9月12日の国連総会におけるジョージ・W・ブッシュ大統領のスピーチの背景文書である。この文書では、イラクのサダム・フセイン大統領が、過去10年間、16の国連安全保障理事会決議に、計画的かつ継続的に違反してきたことの具体例を挙げる。この文書は、フセイン政権が何年にもわたって行ってきた国連決議違反その他の違反行為をすべて列記することを目的とするものではない。
サダム・フセインは10年以上にわたり、国連安保理の意志と決議に対する欺まんと抵抗を示してきた。その例としては、化学・生物・核兵器および禁止されている長距離ミサイルの入手と開発の継続、甚だしい人権侵害や非人道的犯罪を含むイラク国民に対する弾圧、国際テロ支援、湾岸戦争時の捕虜および行方不明者の解放または情報提供の拒否、クウェートから略奪した財産の返還拒否、および国連経済制裁に対する妨害行為などがある。
サダム・フセインが国際社会にもたらす脅威のこうした事例およびその他の側面について、現政権は定期的に情報を提供していく。
目次
| サダム・フセインによる国連決議違反 | |
| サダム・フセインによる大量破壊兵器開発 | |
| サダム・フセインによるイラク国民の弾圧 | |
| サダム・フセインによる国際テロ支援 | |
| サダム・フセインによる湾岸戦争捕虜に関する説明拒否 | |
| サダム・フセインによる略奪財産の返還拒否 | |
| サダム・フセインによる 経済制裁の妨害行為 |
サダム・フセインによる国連決議違反
サダム・フセインは、イラクが国際平和と安全保障に脅威をもたらさないようにすることを目的とする16の国連安保理決議(UNSCR)に繰り返し違反してきた。こうした度重なる違反に加え、フセインはこの10年間にわたり、他の多くの決議に反映されている国連の対イラク経済制裁を妨害しようとしてきた。これらの決議に述べられているように、サダム・フセインは、イラク軍のクウェート撤退のほかにも多くの義務の履行を要求された。具体的には、イラクの大量破壊兵器廃棄のための国際兵器査察官による監督を許可すること、新たな大量破壊兵器を開発しないこと、射程距離150キロメートルを超える弾道ミサイルをすべて廃棄すること、テロ支援を停止し、テロ組織のイラク国内における活動を防止すること、クウェート人その他の行方不明者の情報提供に協力すること、クウェートから略奪した財産を返還し、湾岸戦争の損害の財政的責任を負うこと、イラク国民の弾圧をやめること、などを要求された。サダム・フセインは、以下の各決議に繰り返し違反してきた。
国連安保理決議678 - 1990年11月29日- イラクは、(イラクによる違法なクウェート侵攻に関し)安保理決議660、「およびそれに続くすべての関連決議」を全面的に遵守しなければならない。
- 国連加盟国に「安保理決議660およびそれに続くすべての関連決議を支持および実施するため、および地域の国際平和と安全保障を回復させるため、必要なあらゆる手段を使用する」権限を与える。
国連安保理決議686 - 1991年3月2日
- イラクは、湾岸戦争中に拘留した捕虜を解放しなければならない。
- イラクは、湾岸戦争中に略奪したクウェートの財産を返還しなければならない。
- イラクは、国際法の下で、違法なクウェート侵攻による損害の賠償責任を受容しなければならない。
国連安保理決議687 - 1991年4月3日
- イラクは、あらゆる「化学・生物兵器と化学兵器用薬品のすべての在庫、関連するすべてのサブシステム、構成部分、およびあらゆる研究・開発・支援・製造施設」を、「国際的監視の下で」破壊、除去、または無力化することを「無条件に受け入れ」なければならない。
- イラクは、「核兵器または核兵器に使用できる材料」または何らかの研究・開発・製造施設を「入手または開発しないことに、無条件で同意」しなければならない。
- イラクは、「射程距離150キロメートルを超える弾道ミサイルおよび関連する主要部品および修理・生産施設」をすべて「国際的監視の下で」破壊、除去、または無力化することを「無条件に受け入れ」なければならない。
- イラクは、いかなる大量破壊兵器をも「使用、開発、建造、または入手」してはならない。
- イラクは、核拡散防止条約に基づく義務を改めて確約しなければならない。
- イラクの化学・生物兵器計画の除去を確認するために国連特別委員会(UNSCOM)を設立し、国際原子力機関(IAEA)がイラクの核兵器計画の除去を確認することを義務付ける。
- イラクは、大量破壊兵器計画の全容を明らかにしなければならない。
- イラクは、テロを実行または支援したり、テロ組織がイラク国内で活動することを許可してはならない。
- イラクは、クウェート人その他の行方不明者および死者に関する情報提供に協力しなければならない。
- イラクは、湾岸戦争中にクウェートから略奪した財産を返還しなければならない。
国連安保理決議688 - 1991年4月5日
- 「国際平和と安全保障を脅かす結果となる」イラクの民間人の弾圧を「非難する」。
- イラクは、国民の弾圧を直ちにやめなければならない。
- イラクは、援助を必要とする者には、国際人道組織へのアクセスを直ちに許可しなければならない。
国連安保理決議707 - 1991年8月15日
- イラクによる安保理決議687に対する「重大な違反」を「非難する」。 イラクによるIAEAへの不服従と、核拡散防止条約に基づく義務の不履行を「さらに非難する」。
- イラクは、安保理がイラクによる全面的な遵守を確認するまで、あらゆる種類の核活動を停止しなければならない。
- イラクは、その大量破壊兵器およびミサイル計画のあらゆる側面について、全面的、最終的、かつ完全な情報開示を行わなければならない。
- イラクは、国連およびIAEAの査察官に、直ちに無条件かつ無制限の立ち入りを許可しなければならない。
- イラクは、大量破壊兵器および関連する材料および施設の隠匿または移動を停止しなければならない。
- イラクは、国連およびIAEAの査察官に、イラク各地における査察飛行を許可しなければならない。
- イラクは、国連およびIAEAの査察官に、輸送、医療、および業務実施上の支援を提供しなければならない。
国連安保理決議715 - 1991年10月11日
- イラクは、国連およびIAEAの査察官に全面的に協力しなければならない。
国連安保理決議949 - 1994年10月15日
- イラクのクウェートに対する最近の軍隊の配備を「非難する」。
- イラクは、近隣諸国に対し、またはイラク国内における国連の活動に対し脅威をもたらすために、軍事力その他の力を敵対的に使用してはならない。
- イラクは、国連兵器査察官に全面的に協力しなければならない。
- イラクは、同国南部における軍事能力を増強してはならない。
国連安保理決議1051 - 1996年3月27日
- イラクは、大量破壊兵器に関連する軍民両用製品の輸送を国連およびIAEAに報告しなければならない。
- イラクは、国連およびIAEAの査察官に全面的に協力し、直ちに無条件かつ無制限の立ち入りを許可しなければならない。
国連安保理決議1060 - 1996年6月12日
- イラクによる国連査察官の受け入れ拒否、およびイラクによる過去の国連決議に対する「明らかな違反」を「強く非難する」。
- イラクは、国連査察官に全面的に協力し、直ちに無条件かつ無制限の立ち入りを許可しなければならない。
国連安保理決議1115 - 1997年6月21日
- 「イラク当局が」国連安保理決議687、707、715、1060に「極めて明白かつ悪質に違反し」、国連査察官の「受け入れを再三拒否していることを非難する」。
- イラクは、国連査察官に全面的に協力し、直ちに無条件かつ無制限の立ち入りを許可しなければならない。
- イラクは直ちに、国連査察官が面接を希望するイラク政府当局者への無条件かつ無制限のアクセスを提供しなければならない。
国連安保理決議1134 - 1997年10月23日
- 「イラク当局が」国連安保理決議687、707、715、1060に「悪質に違反し」、国連査察官の「受け入れを再三拒否していることを非難する」。
- イラクは、国連査察官に全面的に協力し、直ちに無条件かつ無制限の立ち入りを許可しなければならない。
- イラクは直ちに、国連査察官が面接を希望するイラク政府当局者への無条件かつ無制限のアクセスを提供しなければならない。
国連安保理決議1137 - 1997年11月12日
- 過去の国連決議に「イラクが引き続き違反していることを非難する」。これには、国連査察官が操縦する航空機の「安全に対する暗黙の脅迫」および国連査察官の監視機器に対する妨害行為などが含まれる。
- 国連査察官の安全を確保するイラクの責任を改めて確認する。
- イラクは、国連査察官に全面的に協力し、直ちに無条件かつ無制限の立ち入りを許可しなければならない。
国連安保理決議1154 - 1998年3月2日
- イラクは、国連およびIAEAの査察官に全面的に協力し、直ちに無条件かつ無制限の立ち入りを許可しなければならないとし、いかなる違反も「イラクにとって最も厳しい結果」につながることを強調する。
国連安保理決議1194 - 1998年9月9日
- 国連およびIAEAの査察官「との協力を停止するイラクの1998年8月5日の決定を非難する」。これは、安保理決議687、707、715、1060、1115、および1154に基づくイラクの義務に対する「全く容認できない違反」である。
- イラクは、国連およびIAEAの査察官に全面的に協力し、直ちに無条件かつ無制限の立ち入りを許可しなければならない。
国連安保理決議1205 - 1998年11月5日
- 国連査察官「との協力を停止するイラクの1998年10月31日の決定を非難する」。これは、安保理決議687その他の決議に対する「悪質な違反」である。
- イラクは、国連およびIAEAの査察官に、「直ちに全面的かつ無条件に協力しなければならない」。
国連安保理決議1284 - 1999年12月17日
- それまでの兵器査察チーム(UNSCOM=国連大量破壊兵器廃棄特別委員会)に代わり、国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)を設立する。
- イラクは、UNMOVICに、イラクの政府当局および施設への「無条件かつ無制限のアクセスを直ちに」許可しなければならない。
- イラクは、湾岸戦争捕虜の解放の確約を実行しなければならない。
- イラクが国民に人道物資および医療物資を配給し、弱い立場にあるイラク国民のニーズに、差別することなく対処することを要求する。
その他の国連安保理声明
国連安保理は、法的拘束力を有する安保理決議に加えて、サダム・フセインによる継続的な安保理決議違反に関し、少なくとも30の安保理議長声明を発表している。議長声明のリストは以下の通りである。
- 1991年6月28日の国連安保理議長声明
- 1992年2月5日の国連安保理議長声明
- 1992年2月19日の国連安保理議長声明
- 1992年2月28日の国連安保理議長声明
- 1992年3月6日の国連安保理議長声明
- 1992年3月11日の国連安保理議長声明
- 1992年3月12日の国連安保理議長声明
- 1992年4月10日の国連安保理議長声明
- 1992年6月17日の国連安保理議長声明
- 1992年7月6日の国連安保理議長声明
- 1992年9月2日の国連安保理議長声明
- 1992年11月23日の国連安保理議長声明
- 1992年11月24日の国連安保理議長声明
- 1993年1月8日の国連安保理議長声明
- 1993年1月11日の国連安保理議長声明
- 1993年6月18日の国連安保理議長声明
- 1993年6月28日の国連安保理議長声明
- 1993年11月23日の国連安保理議長声明
- 1994年10月8日の国連安保理議長声明
- 1996年3月19日の国連安保理議長声明
- 1996年6月14日の国連安保理議長声明
- 1996年8月23日の国連安保理議長声明
- 1996年12月30日の国連安保理議長声明
- 1997年6月13日の国連安保理議長声明
- 1997年10月29日の国連安保理議長声明
- 1997年11月13日の国連安保理議長声明
- 1997年12月3日の国連安保理議長声明
- 1997年12月22日の国連安保理議長声明
- 1998年1月14日の国連安保理議長声明
- 1998年5月14日の国連安保理議長声明
サダム・フセインによる大量破壊兵器開発
サダム・フセインは、10年以上にわたり、国連査察官に対する抵抗を続けており、生物・化学・核兵器、および禁止されている長距離ミサイルを含む大量破壊兵器とそれらの運搬手段の開発・入手を目指し続けている。
生物兵器
- 2001年に、イラクの亡命者アドナン・イーサン・サイード・アルハイデリは、化学・生物・核兵器の秘密施設20カ所を訪れたことがある、と語った。土木技師であるサイード氏は、裏付けとして、仕様書を含むイラク政府の契約書を多数提示した。同氏によると、イラクは、企業を利用して国連の許可の下に機器を購入した後、秘密裏にそれらの機器を兵器計画に使用した。
- イラクは、生物剤を製造したことを認め、また1995年に、ある政府高官が亡命した後には、大量の炭疽菌、ボツリヌス菌、およびアフラトキシンを、スカッド弾頭、航空爆弾、航空機で使用するため兵器化したことを認めた。
- 国連大量破壊兵器廃棄特別委員会(UNSCOM)の専門家は、イラクによる生物剤の申告は、実際の規模を大きく下回るものであり、実際にはイラクは、炭疽菌、ボツリヌス菌、その他ほとんどの生物剤について申告量の2倍から4倍の量を生産しているとの結論に達した。
- 1995年4月のUNSCOMから国連安保理への報告によると、イラクは生物兵器計画を隠匿しており、生物剤の成長物質3トンの申告を怠った。
- 米国国防総省は2001年1月、イラクが兵器計画を継続していること、そしてそれにはL29ジェット訓練機を化学・生物兵器運搬用に改造する計画が含まれていることを報告した。
- アルドーラ口蹄病ワクチン製造施設は、大規模な空気処理およびフィルター・システムを備えているイラクにおける既知の生物学的封じ込めレベル3の施設2カ所のうちの1つである。イラクは、同施設が生物兵器施設であることを認めている。2001年にイラクは、国連の承認を得ずに同施設の修復を始めることを発表した。その表向きの理由はワクチンの生産であるが、このワクチンは、国連を通じて、より容易にかつ迅速に輸入することができる。
- サダム・フセインは、さらなる研究開発に使用できる移動式生物兵器研究施設の調達活動を続けている。
化学兵器
サダム・フセインは1980年代末に、イラクのクルド人に対して化学兵器による大規模な攻撃を行い、数千人の死者を出した。フセインの軍隊は、少なくとも10回にわたり、イラン人およびクルド人を標的に、マスタードガスと神経ガスを組み合わせた化学兵器を、航空爆弾、122ミリ・ロケット、および従来の砲弾で使用した。フセインは引き続き、化学兵器開発活動を続けている。
- イラクによる報告と現在の生産能力との間に隔たりがあることをUNSCOMが明らかにしており、これは、イラクがおそらくVXガス、サリン、サイクロサリン、マスタードガスなどの化学薬品を備蓄し続けていることを強く示唆している。
- イラクは、数百トンの前駆物質およびスカッド型ミサイル弾頭を含む数万発の空の弾薬を報告していない。
- イラクは、過去に神経ガスの運搬手段として優先使用していた少なくとも1万5000発の砲発射ロケットを申告していない。またマスタードガスを詰めた砲弾約550発も報告していない。
- イラクは、塩素やフェノールの製造工場など、化学兵器製造に迅速に転換できる両用施設の再建と拡張を続けている。
- イラクは、化学兵器用前駆物質およびそれに対応する生産設備を購入しようとしており、また湾岸戦争以前イラクの化学兵器製造施設の1つだったファルジャ工場での活動を隠ぺいしようとしている。
- 現在イラクは、ファルジャおよびその他3工場で、民生用の水処理に必要な量を大幅に上回る塩素生産能力を有している。また、イラクが輸入する塩素の一部は軍用に回されていることを示す証拠がある。
核兵器
サダム・フセインは、湾岸戦争以前に、高度な核兵器開発計画を有しており、現在も核兵器開発活動を続けている。
- 独立研究機関である国際戦略研究所が、2002年9月9日に発表した新たな報告によると、サダム・フセインは核分裂性物質を入手できれば数カ月以内に核爆弾を製造することができるという。
- イラクは核兵器の入手努力を強化し、原子爆弾製造用の材料を世界各地に求め始めている。過去14カ月間にイラクは、特殊設計のアルミニウム製チューブを大量に購入しようとしているが、これはウラン濃縮用の遠心分離器の構成部分となるものと見られている。
- イラクは、濃縮技術、海外調達、兵器設計、実験データ、技術文書など、過去の核開発計画に関連する文書を開示していない。
- イラクは現在も、核兵器製造という目標の追求に必要な専門技術と一部のインフラを有している。
- サダム・フセインが過去2年間に核科学者らと何度も会っていることは、フセインが引き続き核開発計画に関心を持っていることを示している。
弾道ミサイル
- イラクは、国連安保理決議687で禁止されている射程距離150キロメートルを超える弾道ミサイルを開発していると見られている。
- サダム・フセインによる申告に食い違いがあることをUNSCOMが明らかにしており、これはイラクが小規模なスカッド式ミサイルおよび不特定数の発射装置と弾頭を保有していることを示唆している。
- イラクは引き続き、アルサムード液体推進剤短距離ミサイル(射程距離制限の150キロメートル以上の飛行が可能)の開発を行っている。アルサムード・ミサイルおよび固体推進剤アバビル100ミサイルは、いずれも2000年12月31日にバグダッドで行われた軍事パレードに登場した。これは、両システムともに実戦配備が近いことを示している。
- アルラファ・ノース施設は、イラクにおける主要な液体推進剤ミサイルエンジンの主たる実験施設である。イラクは同施設に、新たな、より大型の実験台を建設中であり、これが禁止されている長距離ミサイルエンジンの実験用であることは明らかである。
- イラクは、アル・マムーンの施設で、UNSCOMが解体した設備を再建した。これは当初、バドル2000ミサイル計画用の固体推進剤モーターの製造用に作られた設備である。
サダム・フセインによるイラク国民の弾圧
国連安保理決議688(1991年4月5日)は、サダム・フセインによるイラク民間人の弾圧を「非難」し、「国際平和と安全保障を脅かす結果となる」としている。また安保理決議688は、フセインがイラク国民に対する弾圧をやめ、援助を必要とする者には直ちに国際人道組織が援助できるようにすることを要求している。フセインは、こうした規定に再三違反しており、女性と子どもに対する暴力を拡大し、罪のないイラク人に対する残酷な拷問と処刑を継続し、引き続きイラク国民の基本的人権を侵害し、またあらゆる情報源の統制を続けている(これには過去10年間におけるジャーナリストその他のオピニオン・リーダー500人以上の殺害が含まれる)。またフセインは、人道援助に従事する人々に嫌がらせを行い、イスラム教徒に対しさらに多くの犯罪を犯し、子どもを政府に差し出さない家族には食糧を与えず、さらにイラク国民の不当な監禁を続けた。
人権監視員の受け入れ拒否
- 国連人権委員会および国連総会は、イラクにおける人権状況が改善されていないことを「失望した」と記した報告書を発表した。報告書は、イラク政府による国際人道法および「人権に対する組織的で広範かつ極めて深刻な違反」を強く批判し、こうした違反は「広い基盤を持つ差別と広範な恐怖によって継続される抑圧と弾圧の全面的な広がり」につながっている、と述べた。報告書は、イラク政府が各国際人権条約に基づく義務を果たすことを要求した。
- サダム・フセインは、人権監視員による訪問および独立した人権組織の設立を再三拒否している。1992年から2002年まで、フセインは国連特別報告官のイラク訪問を妨害した。
- 2001年9月、イラク政府は、国連の人道救援隊員6人を、何の説明もなく国外追放した。
女性に対する暴力
- 人権組織および反対派グループは引き続き、監禁中にイラク政府職員に強姦され重度の精神的外傷を受けた女性について報告を受けている。
- 情報機関「ムハバラト」の元メンバーであるハリド・アルジャナビの報告によると、ムハバラトの一部局である「技術作戦局」は政治目的のために強姦と暴行を組織的かつ制度的に利用した。また、同局は反対者と目される者の親族の女性を強姦し、それを撮影したビデオを脅迫のため、および将来の協力を確保するために利用したとされる。
- 2000年6月、イラク軍の元将軍に、治安部隊が将軍の家族の女性を強姦する場面を写したビデオが送りつけられた。その後、ある諜報部員から将軍に電話があり、別の親族の女性を監禁していることを告げ、イラク政府に反対する発言をやめるよう警告した。
- イラク治安部隊は、アンファル作戦およびクウェート占領の際に捕虜となった複数の女性を強姦したとされている。
- アムネスティ・インターナショナルの報告によると、2000年10月、イラク政府は売春で告発された数十人の女性を処刑した。
- 5月にイラク政府は、イラクを亡命した3人の子どもの母親を、子どもたちの反政府活動を理由に、拷問死させたと報告されている。
- イラク治安部隊は、家族の面前で大勢の男女の首をはねたと報告されている。アムネスティ・インターナショナルによると、犠牲者の首は数日間にわたり家の前にさらされたという。
拷問
- イラクの治安機関は、日常的かつ組織的に抑留者の拷問を行っている。元収監者らによると、拷問の手段には、烙印、性器などへの電気ショック、殴打、つめを引き抜く、焼きごてやブローランプで焼く、回転するシーリング・ファンから吊り下げる、皮膚に酸をたらす、強姦、手足を折る、食料や水を与えない、暗く非常に狭い独房への長期監禁、そして家族や親族に対する強姦その他の危害の脅迫、などがある。多くの場合、こうした拷問の証拠は、治安部隊から家族に返された犠牲者の遺体の損傷に表れていた。
- 1998年に国連特別報告官が受けた報告によると、多数のクルド人その他の抑留者が、告発なしで20年近くにわたり極めて劣悪な状況下で監禁されており、その多くはイラクによる違法な実験的化学・生物兵器計画の被験者として使われた。
- イラク当局は2000年に、サダム・フセインおよびその家族を批判した者に対しては舌を切断する刑罰を採用したと伝えられており、6月17日にはフセインを批判したとされる者1人の舌を切断した、といわれている。政府当局は、大勢の観衆の前でこれを実行したという。このほかにも同様の刑罰が実施されたとされている。
- ヨーロッパへの避難民が受け入れ国の政府に拷問の体験を報告している例が多く、彼らの傷跡や切断された身体がその報告を裏付けている。
- 2001年8月、アムネスティ・インターナショナルは、「イラク−政治囚の組織的な拷問」と題する報告書を発表した。これには、政治的な反対派であると疑われる者、そして時にはその他の拘留者に対する組織的かつ日常的な拷問の実施について詳述されている。またアムネスティ・インターナショナルは、「抑留者は、家族の女性、特に妻または母親を連れてきて目の前で強姦すると脅迫されている。こうした脅迫が実行された例もある」と報告している。
- ヨーロッパに亡命したサッカー選手サード・ケイス・ナオマンによると、彼はチームメートとともに、成績が悪いことを理由に、ウダイ・サダム・フセインの命令で殴打され侮辱された。ナオマンは、背中を血が出るまでむちで打たれたため、アルラドワニヤ刑務所の小さな監房で、腹ばいになって眠らなければならなかった。
政治的反対勢力の処刑と抑圧
- 元国連人権特別報告官のマックス・バン・デル・ストールによる1998年4月の報告によると、イラクはその前年に、少なくとも1500人を政治的理由で処刑した。
- イラク政府は引き続き、シーア派の指導者や政治的反対勢力とされる人々を即時処刑している。反対派グループとつながりがあるというだけの理由で、または刑務所の収監者数を減らそうとする継続的な活動の一環として、処刑が行われたことを示す報告がある。
- 2001年2月、イラク政府は、反対活動を理由に政治囚37人を処刑したとされている。
- 2001年6月、シーア派の聖職者フセイン・バハール・アルウルームは、バース党のある役職に選出されたクサイ・サダム・フセインを祝福するためのテレビ出演を拒否したため、治安部隊に殺害された。こうした殺人は、政府に対する背信の疑いのあるシーア派有力聖職者を排除するという、政府の明らかな方針を踏襲している。1998年と99年に、イラク政府は主要なシーア派聖職者を多数殺害した。このため、前出の元国連人権特別報告官は1999年に、こうした殺人がシーア派イスラム社会の独立した指導者層に対する政府幹部の組織的な攻撃の一環である可能性を懸念する書簡を提出したが、政府からの返答はなかった。
- 遺族が処刑費用の支払いをさせられているとの報告が後を絶たない。
- サダム・フセインは、1998年9月から99年12月までの間にイラク南部のアルブ・アイシュの町を破壊した。
- イラクは、クルド人およびトルクメン人を苦しめ政府支配地域から追放することを目的とする、民族浄化のための「アラブ化」作戦を組織的に実行してきた。非アラブ系市民は、民族あるいは身分証明書を変更してアラブ系の名前に改名することを強要され、従わない場合は住居、財産、食糧配給カードを取り上げられ追放される。
サダム・フセインによる児童虐待
- サダム・フセインは、10歳から15歳までの子どもたちを対象に3週間にわたり、武器の使用、白兵戦、ヘリコプターからの懸垂下降、および歩兵戦術の訓練を行った。こうした「サダム・カブズ(サダムの子どもたち)」の訓練キャンプは全国各地で行われた。訓練を監督した軍の上級幹部らは、訓練は1日最高14時間にも及んだが、子どもたちはその「肉体的、精神的な負担」に耐えた、と述べた。反対派の情報筋によると、軍がこの訓練プログラムの定員を満たす数の子どもたちを確保するのは困難だったという。子どもを訓練に参加させない家族は、食糧配給カードを没収すると脅迫されたという。イラクのイスラム革命最高評議会の1999年10月の報告によると、当局は、「サダム・カブズ」の強制的な武器訓練キャンプに若い息子を参加させなかった家族には食糧配給カードを与えなかった。同様に、「フェダイン・サダム」組織に登録していない生徒には、学校の試験の結果を教えなかった、とされている。
- イラクは、頻繁に一般市民に対する食糧配給の削減を発表し、それを米国または英国のせいにする。中でも最も議論を呼んだのは、乳児用ミルクの配給削減であった。国連に提出された乳児用ミルクの契約がすべて承認されたにもかかわらず、イラクはミルクの不足は米国と英国の契約拒否のせいであるとした。
- 児童労働はなくならず、強制労働の例もある。
- 子どもを含む一般市民に提供することができた食料や医薬品が倉庫に貯蔵されたままになっていたり、政府関係者の個人的な使用に回されているとの報告が広くなされている。
行方不明者
- アムネスティ・インターナショナルの報告によると、イラクは、行方不明者の人数が世界で最も多い。
- 1999年に国連特別報告官は、イラクは国連の知る限り行方不明者数が1万6000人と世界で最も多い、と述べた。
基本的な自由:言論の自由、出版の自由、情報の自由
- サダム・フセインは、言論の自由あるいは出版の自由を認めず、支配下の地域では政治的反対意見を許さない。2000年11月、国連総会は、フセインによる「思想、表現、情報、結社、および集会の自由の抑圧」を批判した。国連特別報告官は1999年10月、イラク国民は「恐怖の風土」に暮らしており、そこでは、特に政治分野での言動には「警察または軍情報部による逮捕と尋問の危険」が伴う、と述べた。そして、「大統領の支持者ではないということが示唆されただけで死刑の可能性がある」と報告した。
- 2001年6月、人権連盟は、サダム・フセインが過去10年間にジャーナリストその他の知識人500人以上を殺害した、と報告した。
- サダム・フセインは、国民の憲法上のプライバシーの権利を頻繁に侵害している。フセインは、郵便、電信による通信、および電話による会話の秘密性を保護する憲法の規定を日常的に無視している。イラクは、反対派グループのニュース放送を含め、国外からのニュース放送を定期的に妨害している。治安当局およびバース党は、反対活動を抑止し、一般市民に恐怖心を植え付けるために、密告者の広範なネットワークを維持している。
- 外国人ジャーナリストは、イラク省庁ビル内に事務所を置かなければならず、どこへ行くにも省庁の役人が同行する。同行の役人は、ジャーナリストの行動を制限し、一般市民との自由な交流を不可能にする、と報告されている。
- イラク政府、バース党、またはサダム・フセインに近い人々が、活字および放送メディアをすべて所有し、プロパガンダの手段として運営している。通常、こうしたメディアは、国内外で発せられる反対意見を報道しない。
- 1999年9月、バグダッド大学教授でジャーナリストのハシェム・ハッサンは、ウダイ・フセインの出版物の編集者に任命されたが辞退したため、逮捕された。パリに本部のある「国境なき記者団」(RSF)がウダイ・フセインに嘆願書を送ったが、年末の時点で、ハッサンの生死および行方は依然として不明であった。
- サダム・フセインは、外国のニュース放送を定期的に妨害している。衛星アンテナ、モデム、ファクス機は禁止されているが、1999年に制限が一部撤廃されたと報告されている。
- 政府が運営するインターネット・カフェでは、ユーザーは文化情報省が提供するウェブサイトしか見ることができない。
- ウダイ・フセインは1999年に、サダム・フセインおよびイラク政府を十分に賞賛しなかったという理由で、イラク・ジャーナリスト連合の会員数百名を解雇したとされている。
食糧の供給停止
- 脱走者について家族が報告を怠った場合、家族は政府統制の食糧を購入するための配給カードを取り上げられたり、住居から立ち退かされたり、または家族の他の者が逮捕されたりする可能性がある。イラクのイスラム革命最高評議会の1999年10月および12月の報告によると、当局は、「サダム・カブズ」の強制的な武器訓練キャンプに息子を参加させなかった家族には食糧配給カードを与えなかった。
イスラム教徒に対する犯罪
- イラク政府は、メッカやメディナに巡礼しようとするイラク人イスラム教徒、およびイラク国内の各聖地に出かけるイラク人および非イラク人イスラム巡礼者に対して、絶えず宗教的巡礼を政治化し、妨害している。例えば、1998年に国連制裁委員会は、メッカ巡礼者に交通費および経費のクーポン券を配布することを申し出たが、イラク政府はこれを拒否した。1999年には同委員会が、中立的な第3者を介してメッカ巡礼の関連費用を負担すると申し出たが、イラク政府はこれも拒否した。1999年12月に国連安保理決議1284が可決された後、制裁委員会は再びメッカに巡礼する人々の費用の負担を促進するための議定書を作成しようとした。同委員会は、各巡礼者に現金250ドルと1750ドル分のトラベラーズチェックを提供し、バグダッドの国連事務所で国連およびイラク政府当局者立ち会いの下でこれを配布することを提案した。しかし、イラク政府がこの提案をも拒否したため、イラクの巡礼者はこの提供資金を利用することができず、また2000年には、許可された飛行機も利用できなかった。イラク政府は引き続き、こうした資金が巡礼者に直接支払われるのではなく、政府統制の中央銀行に現金で払い込まれるならば受け取る、と主張した。
イラクの人口の95%以上がイスラム教徒である。(主としてアラブ系の)シーア派イスラム教徒が60〜65%の多数派を占める。
- イラク政府は、過去何十年にもわたり、多数派を占めるシーア派イスラム教徒の宗教指導者および信者に対して、殺人、即時処刑、そして根拠のない長期間の抑留など非人間的な行動を取っている。宗教の平等に対する法的な保護が名目上は存在するが、イラク政府はシーア派の聖職者および信者を厳しく弾圧してきた。
- ムハバラト、総合治安機関(アムン・アルアム)、軍事局、サダムの特殊部隊(フェダイン・サダム)、およびバース党からの部隊は、シーア派の上級聖職者を殺害し、シーア派のモスクや聖地を冒?し、シーア派の宗教教育を妨害してきた。シーア派のすべての主要なモスクや寺院には治安部隊員が配置され、信者の所持品を検査し、嫌がらせをし、根拠もなく逮捕している、と報告されている。
- 2001年には、以下のような宗教の権利に対する政府の制約が続いた。シーア派イスラム教徒による金曜日の共同祈とうの制限および禁止、シーア派モスク図書館の書籍貸し出しの禁止、政府統制のラジオ局またはテレビ局によるシーア派番組の放送禁止、祈とう書や説明書を含むシーア派の書籍の出版禁止、政府が計画したもの以外の葬列の禁止、その他コーラン朗読会などシーア派の葬儀行事の禁止、そして、シーア派の聖なる日を記念する特定の行進や集会の禁止。シーア派グループは、1991年の反乱の際に、禁じられたシーア派宗教書数千点を列記した治安機関の文書を入手した、と報告している。
- 1999年6月、いくつかのシーア派反対グループは、イラク政府がバグダッドのシーア派居住地域で、個人の祈とう場所を制限するため食糧配給カードを利用した、と報告した。配給カードは、国連の原油・食糧交換出計画の一環として使用されているものであるが、カード保持者がモスクに入る時にカードを調べられる。カードには、許可されていない場所で祈とうをしようとする者には厳しい罰則が科されることが記されている。
サダム・フセインによる国際テロ支援
イラクは、米国国務長官が国際テロ支援国家に指定した7カ国のうちの1つである。 国連安保理決議687は、サダム・フセインがテロを実行または支援すること、あるいはテロ組織によるイラク国内での活動を許可することを禁止している。フセインは引き続き、これらの安保理決議規定に違反している。
- 1993年に、イラク情報機関(IIS)は、ジョージ・ブッシュ元米国大統領とクウェート首長に対する、強力な自動車爆弾による暗殺計画を指揮し推進した。クウェート当局がテロ計画を妨げ、イラク人2人を指導者とする16人の容疑者を逮捕した。
- イラクは、ムジャヒディン・ハルク組織(MKO)などのテロリスト・グループをかくまっている。MKOは、イランに対して暴力テロを実行しており、1970年代には米国の軍人および民間人数人を殺害した。
- イラクは、対イスラエル空爆で知られるパレスチナ解放戦線(PLF)など、いくつかの主要なパレスチナ・テロ組織をバグダッドにかくまっている。PLFの指導者アブ・アバスは、1985年に客船アキレ・ラウロ号を乗っ取り、米国人レオン・クリングホッファーを殺害した。
- イラクは、20カ国でテロを実行し900人近くを殺傷した国際テロ組織アブ・ニダル組織をかくまっている。同組織の標的には、米国およびその他数カ国の西欧諸国が含まれる。これらのグループは、それぞれバグダッドに事務所を持ち、イラク政府から訓練、後方支援、資金援助を受けている。
- 2002年4月に、サダム・フセインは、パレスチナ人自爆テロリストの家族に提供する報奨金を、1万ドルから2万5000ドルに引き上げた。自爆テロリストへの報奨に関しては厳密な規則があり、爆発物のベルトを着けて自爆テロを実行した者だけに全額が支給される。支払額は厳しい基準に基づいて決められ、負傷、身体障害、「殉教者」としての死亡などに対してそれぞれ異なる金額が支給される。自爆テロリストには2万5000ドルが支払われる。ヨルダン川西岸地区の代表者としてフセインからの報奨金を家族に渡しているマームード・ベシャラトは、「大統領がなぜこのように気前がいいのかは、大統領本人に聞くしかない。しかし、彼は革命家であり、この優れた闘争『インティファーダ』の継続を願っている」と語った。
- 複数の元イラク軍将校によると、イラクにはサルマン・パクという極めて秘密性の高いテロリスト訓練施設があり、そこではイラク人および非イラク系アラブ人が、飛行機や列車のハイジャック、都市における爆発物の設置、破壊行為、暗殺の訓練を受けているという。
サダム・フセインによる湾岸戦争捕虜に関する説明拒否
国連安保理決議686、687、その他の決議により、サダム・フセインは、湾岸戦争の捕虜をすべて直ちに解放するとともに、湾岸戦争におけるクウェート人その他の行方不明者および死者の情報を明らかにする作業に協力することを義務付けられている。フセインは、これらの決議に違反し続けている。
- サダム・フセインは、イラクによるクウェート占領期間中に拘留した多数のクウェート人その他の国の民間人を返還せず、その行方を明らかにしていない。そして、この問題の解決に向けて3者委員会と協力することを拒否し続けている。
- 湾岸戦争行方不明者に関する3者委員会が調査している湾岸戦争捕虜・行方不明者14カ国609件(米国人パイロット1人を含む)のうち、解決しているのは4件のみである。イラクが引き続き事態を混乱させ隠ぺいしているため、湾岸戦争以来極めてわずかなケースしか解決を見ていない。フセインは、その他のケースについては知らないと主張し、湾岸戦争後の混乱ですべての関連記録は紛失したと述べている。
- 国連事務総長は、2001年12月の国連安保理への報告書で、イラク政府が民間人捕虜や行方不明者の問題で国連との協力を拒否していることを非難した。イランは、イラクがイラン・イラク戦争以降5000人のイラン人捕虜の行方についての情報を明らかにしていない、と報告している。
- 「事務総長は、クウェート人および第3国人またはその遺骨の帰還または返還の問題については、イラクが3者委員会との協力を拒否したため、ほとんど前進がないことを再度述べる」
- 2001年8月のアムネスティ・インターナショナルの報告によると、イラクは失そうして行方のわからない人の数が世界で最も多いという最悪の記録を持っている。
- 1994年および95年の国連による1万6000件以上に関する報告、また1990〜91年のイラクによるクウェート占領中に行方不明となった者の消息を求めるクウェート、サウジアラビア両政府の要求、そして1980〜88年のイラン・イラク戦争中にイラクの捕虜となった者の消息に関するイランの要求を、イラク政府は引き続き無視した。
- 「安全保障理事会は、クウェートの国家記録の返還に進展が見られないことを遺憾とし、イラクがクウェートおよび第3国の国民またはその遺骨をすべて返還することを含め、イラクが直ちに関連決議の要件をすべて満たすことの必要性を繰り返して述べる」
サダム・フセインによる略奪財産の返還拒否
イラクは、略奪財産の多くを返還せずに破壊しており、クウェートは大量の機器の所在がいまだに不明であると主張している。
- 国連およびクウェートによると、イラクはクウェートの大量の国家記録および美術館所蔵品、そして軍事機器を返還していない。これには、ミラージュF1戦闘機8機、ロシア製戦闘車245台、M113装甲兵員輸送車90台、ホークの発射台1基、トウミサイルなど対戦車ミサイル3750発、およびロシア製地対空ミサイルの発射台675基などがある。
サダム・フセインによる経済制裁妨害および原油・食糧交換計画妨害行為
- サダム・フセインは、国連経済制裁に違反し、また国連の原油・食糧交換計画の範囲外で、数億ドルの製品を不法に輸入してきた。例えば、イラクは、イラク軍をサポートする光ファイバー通信システムを輸入している。
- イラクは、原油・食糧交換計画の下で入手した軍民両用製品を軍用に回している。例えば、国連の承認を受けたトラックを人道救援目的から軍用目的に回したり、建設用機器を大量破壊兵器関連施設の再建に使用している。
- イラク政権は、安保理決議に明白に違反し、イラク国民の人道的福利を明らかに無視して、毎日数十万バレルの原油を違法に輸出している。その結果、イラク政府は、国連の原油・食糧交換計画の下で原油を輸出していたならば得ることのできた数十億ドルの食糧、医薬品、その他の人道援助を、イラク国民から奪った。その代わりにサダム・フセインは、この多額の資金を大量破壊兵器計画、自己の警備用設備の支払い、そして自分と支持者らのぜいたく品などの購入に使用した。
- 2002年1月、ブッシュ大統領は連邦議会への報告で、「最も近い期日では、11月19日の国連報告書に述べられているように、イラク政府は、原油・食糧交換計画を通じて入手できる資金をイラク国民の健康と福利の改善に使う確約を果たしていない・・・。イラクによる契約の遅延、食糧・医薬品・教育その他の人道分野への割当資金削減、イラク北部における人道的非政府機関を妨害または閉鎖しようとする政府の活動、そしてイラク政府による国連職員へのビザ発給遅延は、イラク政権がこの計画の効果を弱めようとしていることを証明している」と述べた。
- サダム・フセインは、原油の密輸で得た富を、イラク国民にとって人道的に必要な事物のためにではなく、自分の豪華な大邸宅や少数の側近のために使っている。
- サダム・フセインは、水ポンプや配管など、都市の上下水道設備の修理に使用されるべき資材を、自分の邸宅の堀や水路の建設に使用した。


臨時代理大使