
2004年6月22日
米国務省が6月22日に発表した訂正データによると、2003年に発生した国際テロ件数は208件で、前年の205件に比べ、わずかに増加した。
また、この訂正報告によると、昨年のテロによる死者数は625人であった。前年の2002年には725人がテロによって死亡している。このデータは、新設されたテロ脅威統合センター(TTIC)および国務省のテロ対策調整官室が、情報機関および世界各地の米国大使館や領事館などからの情報をもとに集計したものである。
国務省テロ対策調整官のコファー・ブラック大使は、さらに注目すべき点として、テロ事件による負傷者数が2002年には2013人であったが、2003年には3646人となったことを挙げた。
報告書には、「この増加は、2003年には、礼拝所、ホテル、商業地区など『ソフト・ターゲット(民間の標的)』を対象に、多数の死傷者を出すことを意図した無差別テロが多かったことを反映している」と記されている。
コリン・パウエル国務長官がワシントンでの記者会見で述べたところによると、6月10日に国務省は、(4月に発表された)同省のデータの一部が不正確であったことを認め、そうしたデータは慎重な見直しの後に訂正された。連邦法によって義務付けられ、連邦議会に提出される「国際テロ年次報告書」は、当初4月28日に発表された。
「数字が間違っていた。われわれは今後どうすればよいかを明確にした」とパウエル長官は語った。
長官は、最初の報告書は米国のテロ対策活動の成果を曲げて伝えようとしたものではないと述べた。パウエル長官の話では、最初にこの誤りについて国務省に知らせたのは、カリフォルニア州選出のヘンリー・ワックスマン民主党下院議員とそのスタッフであった。
訂正版によると、昨年は35人の米国人がテロによって死亡した。死者数が最も多かったのは2003年5月12日にサウジアラビアのリヤドで発生した自爆テロ事件で、米国人9人が死亡した。
また、この訂正版によると、2003年のテロ件数を地域別に見ると、アジアが80件、中東が67件、西ヨーロッパが33件、中南米が20件、アフリカが6件、ユーラシアが2件、そして北米はゼロとなっている。
訂正された国際テロ年次報告書の全文は、http://www.state.gov/s/ct/rls/pgtrpt/2003/で見ることができる。
以下は訂正された「2003年の概観」である。
国際テロ年次報告書
テロ対策調整官室発表
2004年6月22日
2003年の概観(訂正版)
2003年の国際テロ件数は208件で、最新の発表による2002年の件数198件(205件に訂正)に比べわずかに増加、また2001年の355件に比べると42%の減少となった。2003年の国際テロによる死亡者総数は625人で、2002年の725人に比べ減少した。2003年のテロによる負傷者総数は3646人で、前年の2013人に比べ急増した。この増加は、2003年には、礼拝所、ホテル、商業地区など『ソフト・ターゲット(民間の標的)』を対象に、大量の死傷者を出すことを意図した無差別テロが多かったことを反映している。
2003年には、以下の35人の米国人がテロによって死亡した。
1月21日にクウェートで、マイケル・ルネ・プーリオが、赤信号で停車中、武装犯に車を銃撃され、死亡した。
2月13日、コロンビアで、トーマス・ジャニスがコロンビア革命軍(FARC)のテロリストらに殺害された。ジャニスは、操縦していた飛行機がジャングルに墜落し、同乗のコロンビア軍人とともに負傷した。2人はテロリストに発見され、射殺された。このほかに、キース・スタンセル、マーク・D・ゴンサルベス、トーマス・R・ハウズの米国人3人が同乗していたが、彼らはFARCに拉致され、2004年6月現在人質となったままである。
3月4日、フィリピンのダバオで、混雑する空港ターミナル内でバックパックに隠された爆弾が爆発し、ウィリアム・ハイドが死亡した。このほか20人が死亡し、149人が負傷した。この事件の容疑者は、モロ・イスラム解放戦線(MILF)の一員を名乗っているが、MILFはつながりを一切否定している。
3月5日、イスラエルのハイファで自爆テロリストがバス内で爆弾装置を爆発させた事件で、アビゲール・エリザベス・ライトルが死亡した。
3月7日、入植地キリヤット・アルバで食事をしていたユダヤ教指導者エルナタン・イーライ・ホロウィッツと妻のデブラ・ルース・ホロウィッツが、武装したパレスチナ人に銃撃され、死亡した。
最も死者数の多かった対米テロは、5月12日にサウジアラビアのリヤドで発生した自爆テロである。ビネル、ジャダウェル、アルハムラの各居住区を、爆弾を積んだ複数の車が攻撃し、米国人9人が死亡した。ビネル居住区の米国人犠牲者は、オバイダ・ユサフ・アブダラ、トッド・マイケル・ブレア、ジェーソン・エリック・ベントリー、ジェームズ・リー・カーペンター2世、ハーマン・ディアス、アレックス・ジャクソン、クインシ・リー・ノックス、およびクリフォード・J・ローソン。アルハムラ居住区では、モハメッド・アテフ・アルカヤリが死亡した。
6月11日、エルサレムに近いジャファ・ロードのクラル・センター付近で発生したバス爆破事件で、アラン・ビアとバーティン・ジョセフ・ティタが死亡した。
6月20日、西岸の入植地オフラ付近で、ハワード・クレーグ・ゴールドスタインが銃撃され死亡した。
8月5日、イラクのティクリートで、民間の請負業者フレッド・ブライアントが、車で簡易爆発物に接触し、死亡した。
8月19日にバグダッドで発生した、カナル・ホテル内の国連本部に対するトラック爆弾テロによる死者のうち、アーサー・ヘルトン、リチャード・フーパー、マーサ・ティアスの3人が米国人だった。この事件では、セルジオ・ビエイラ・デメロ国連特別代表をはじめ23人が死亡した。
8月19日、エルサレムで、自爆テロ犯がバスの中で、体に付けていた爆弾を爆発させ、米国人5人が死亡した。米国人犠牲者は、ゴールディ・ザーコウスキ、イーライ・ザーコウスキ、モーデカイ・ライニッツ、イエスーチャー・ドブ・ライニッツ、およびテヒラ・ネーサンセンである。このほかに15人が死亡し、140人が負傷した。
9月9日、エルサレムのカフェ・ヒレルで、デービッド・アップルバウム博士と娘のナーバ・アップルバウムが、爆弾テロにより死亡した。
10月15日、在テルアビブ米国大使館の車列がガザ地区を走行中、沿道に仕掛けられた爆弾が爆発し、米国人3人が死亡した。亡くなったのはジョン・ブランチジオ、マーク・T・パーソン、およびジョン・マーティン・リンド・ジュニアの3人で、いずれも米国大使館と契約を結ぶ警備担当者だった。
10月26日、バグダッドのアルラシード・ホテルがロケット推進式手りゅう弾で攻撃され、チャールズ・H・ビューリング中佐が死亡した。攻撃時には、ポール・D・ウォルフォウィッツ国防副長官が同ホテルに滞在していた。
10月27日、アフガニスタンのシュキンで、ウィリアム・カールソンとクリストファー・グレン・ミューラーの米国人2人が、待ち伏せていた武装過激派に襲われ、死亡した。2人とも米国政府の契約職員だった。
注:新しい情報の入手とともに、発表済みのデータが訂正されている。現時点で、2002年の国際テロ事件の総件数は、205件である。


駐日米国大使