
2003年6月12日、於慶應義塾大学
本日は、お招きをいただきありがとうございます。少しお時間をいただき、米国経済の現状、税制および企業統治など重要な分野における最近の傾向についてお話しし、最後に、米国の経済とその経済政策を日本の現状と比較・検討をしたいと考えております。私の話のあとで、ご質問があれば、喜んでお答えしたいと思います。
米国経済については、良いニュースと悪いニュースの両方があります。まず、プラスの面ですが、米国経済は際立った弾力性を発揮しています。2000年3月以降、好ましからざる出来事が多々発生しましたが、米国経済のパフォーマンスは決して悪いものではありません。2000年3月に株式市場のバブルがはじけて以降、米国内だけで、およそ7兆ドルに相当する資産が失われました。2001年から2002年にかけては、不況に見舞われましたし、9月11日のテロ攻撃、また、エンロン、ワールド・コムなどの企業統治にかかわるスキャンダルもありました。さらに、2001年と2002年は、米国以外の主要先進国も極めて低い経済成長にとどまりました。このような状況にもかかわらず、米国経済は、2001年に0.3 %、2002年にはおよそ2.2%の成長を達成することができました。実際に、米国経済の長期的見通しは、今なお、堅実なものとなっています。米国のインフレ率、金利水準はともに低く、生産性の伸びも力強く、そのため、実質所得や生活水準は上昇を続けるはずです。
悪いニュースは、これらの好ましい状況が、まだまだ不十分であるということです。十分な雇用を生み出すためには、より高い成長路線が必要です。満足できる拡大ペースを実現するためには、企業投資の増加が必要です。2002年の第2四半期から第4四半期において、企業による設備あるいはソフトウエアの購入は、わずかながら上昇しましたが、将来の企業投資の指標である軍事部門以外の資本財の新規発注は、2002年の第4四半期に、実際に減少しました。オフィスや産業用不動産の高い非使用率は、商業用建造物に対する投資を引き続き抑制しています。最近の景気回復については、特に自動車や住宅に対する家計部門による支出が、中心的な役割を果たしています。これらの支出は、実質個人所得の持続的な上昇によって支えられてきています。最近の個人所得の上昇は、戦後の代表的な不況期と比べ、より安定しています。しかし、残念ながら、米国の純資産は、株価下落のため、この3年間、所得と比較すると劇的に低下しました。株価の下落はまた、企業の新規投資コストを引き上げています。
企業投資の力強い回復が、より高い成長路線の達成には不可欠です。企業投資は、より多くの雇用を生み出すためにも、極めて重要です。皆さんもご承知のように、現在の景気回復において、労働市場は非常に弱い状態が続いています。本年4月の失業率は速報で6%となり、3月の5.8%から上昇しました。
これらの問題に取り組むため、ブッシュ大統領は、最近、向こう10年間で3500億ドル減税する法案に署名しました。本日は、この減税パッケージの詳細については、お話しいたしませんが、この措置は、需要と供給の両面において経済を支えることを目的としたものです。このパッケージの第1の部分は、2001年の減税措置を加速し、より多くのお金を消費者の財布に入れようとするものです。第2の部分は、中小企業が即時に所得控除できる投資の金額を大幅に引き上げ、さらに、投資の初年度の優遇減価償却を拡大するもので、企業の投資インセンティブが、相当程度、高まるはずです。最後の部分は、税制は経済の歪みをもたらすべきではないとう考え方によるものです。残念ながら、これまで米国の税制は、配当金や譲渡所得を生む資産を保有すべきかどうか、いつ譲渡所得を得るべきか、企業は投資資金をどう調達するかなどの基本的な経済判断に影響を及ぼし、歪みを生み出してきました。現行税制では、株式よりも借り入れ、配当金よりも内部留保、さらには、簡単な配当金小切手よりも株式再購入など複雑な取引による利益配分の方が優遇されていますが、配当金や譲渡所得に対する税率を引き下げれば、こうした優遇の度合が低くなるはずです。今回のパッケージは、借り入れ、内部留保、株式再購入に対する税制上の有利さを減らすことにより、企業統治を強化することを目指すものです。なぜなら、企業が配当金を支払うための現金を保有していることは、その企業が健全であることを示す強い指標だからです。
企業統治も、ブッシュ政権が重視している分野です。企業統治、つまり企業経営者の判断を導く一連の抑制と均衡は、金融市場が正しく機能し、企業投資が健全に行われるために不可欠です。私たちが現在直面している問題を一番良く要約しているのは、ニューヨーク連邦準備銀行のウイリアム・マクダノー総裁の次の言葉です。「企業部門の回復が妨げられ続けているのは、地政学的な不確実性や、いくつかの重要な産業分野における構造改革の必要性だけによるものではなく、投資家や資金の貸し手が持っている警戒感によるものである。彼らは、企業の内部統治や外部からの監視の質について、さらには、企業が提供する情報の信頼性について、疑念を抱き続けている。一言で言えば、これは投資家や貸し手の信頼という決定的に重要な問題である」と彼は述べています。
ブッシュ政権による企業統治改革の話をする前に、広く信じられているある神話の正体を暴いておきたいと思います。米国の証券取引法の下では、企業は、故意であろうとなかろうと、その財務報告の内容に間違いがあった場合、修正報告をすることが義務付けられています。例えば、エンロンのような企業が収益について間違った数字を記載した財務報告書を発表した場合、その企業は正しい収益を記載した修正報告書を出さなければなりません。1990年代半ば以降、米国の企業が収益等の財務報告を修正した件数は相当増加しましたが、事実は、米国の大半の大企業は収益の修正報告などしていませんし、収益の修正報告をした企業は技術分野など特定の産業に集中していました。言い換えれば、エンロンやワールド・コムが標準的だったのではなく、あくまでも例外だったのです。
ブッシュ大統領は、2002年7月、企業改革法(サーベンス・オクスリー 法に署名しましたが、同法の目的は、企業統治を強化し、投資家の懸念を和らげることにありました。この法律によって、投資家が経営判断の質を確かめるのを助ける新しい手段が、裁判所および連邦政府機関に与えられました。この法律は、情報公開に関する新しい要件を導入し、一定の情報公開違反に対する処罰を劇的に強化し、さらに、経営者の説明責任および監査役の独立性を強化する新しい規則や制度を創設することにより、情報の正確さを改善し、情報を入手しやすくするものです。
企業の役員や監査委員会の役割や責任を明確にすることにより、この法律は、経営者の説明責任を強化しました。さらに、この法律によって、公開企業の財務報告書の監査を監視する全国的な特別の委員会が創設されました。
次に、デフレ、構造改革、不良債権という3つの重要な分野について、米国と日本の経済を比較したいと思います。皆さんも新聞報道などでご覧のとおり、金融市場は米国でデフレが発生する可能性に懸念を抱いています。連邦準備制度理事会も5月6日の政策声明の中で、インフレ率が歓迎せざるほど大幅に低下する公算は「小さい」としながらも、デフレに関する懸念を表明しています。デフレが経済成長にとって脅威となる理由は、それが債務の実質的な負担を増加し、投資意欲を減退させ、家計が消費を先延ばしするようにしむけるからです。前にも述べましたが、家計支出は米国経済において重要な役割を果たしてきました。現在、米国においてデフレは問題とはなっていませんが、政策担当者は状況を注意深く見守っています。
皆さんもご承知のとおり、日本におけるデフレは、しつこく続いていますが、消費者物価レベルでは約1%と穏やかです。しかし、より広い物価状況をあらわすGDPデフレーターで見ると、本年の第1四半期においては前年同期比で3.5%と、下落率は、より大きなものとなっています。日本における賃金の下落は年率で1%を上回っており、デフレは人々の心の中に深く植え付けられています。デフレは債務の実質的な負担を増加させますから、銀行部門の不良債権問題を、さらに悪化させることになります。デフレは金融面での現象ですから、それを阻止するためには日銀の金融政策が重要な役割を担うことになります。
日銀は2001年以降、マネタリー・ベースを大幅に拡大させていますが、経済史は、デフレの呪縛から日本を解き放つためには、さらに大きなマネー・サプライの増加を長期にわたり続けていく必要があることを示唆しています。
不幸なことに、病んだ銀行部門が、デフレを阻止しようとする金融政策の遂行を非常に困難にしています。中央銀行が資金供給を増やしても、弱った銀行は貸し出しを増やさないため、金融政策が機能するための基本的な経路は遮断されてしまっています。銀行部門については、後ほど、もう少し詳しくお話しします。
構造改革も、日米両国にとって重要な分野です。日本においても米国においても、生活水準を向上させ、高齢者の世話をし、政府債務の負担を担っていく唯一の方法は、経済成長です。持続的な経済成長を達成する鍵のひとつは、成長に対する構造的障害を取り除くことです。
先ほど、ブッシュ政権の減税パッケージについて簡単に説明し、それが経済成長の促進に力点を置いていることをお話ししましたが、ブッシュ政権が現在、米国の国際課税制度を総点検している点については触れませんでした。米国による物とサービスの貿易が、今日、米国のGDPの25%を上回り、2000年における国際投資がGDPのほぼ16%に達していることを考えた時、移転価格、利益配分、源泉率、外国税額控除、配当課税などを扱う制度を大幅に改革することは、米国経済全体のパフォーマンスに極めて大きな影響を与えます。現在行われている改革論議は、米国とその主要貿易相手国との間での税制の違いが、米国企業にどのような不利益をもたらしているか、また、いかなる税制改革が効率的な資本移動の障害を軽減するために必要かに焦点を合わせています。貯蓄・投資・革新の意欲を削ぐ税制上の障害を削減することは、新しい投資・成長の機会を提供する一助となります。
米国も日本も、高齢化社会や、現在働いている人々がすでに引退した人々の生活を支えるという賦課方式による年金制度がもたらす諸問題に対処するためには、持続的な経済成長と持続的な生産性の向上が必要です。賦課方式による年金制度のもとでは、政府は労働者から徴収した税を直ちに、引退した人々に移転します。国連の見通しによると、米国では65歳を上回る人口の割合は、2002年の12.3%から2030年には20.2%に上昇します。日本については、17.2%から30%へ上昇するとしています。米国においても日本においても賦課方式の下では、労働者は社会保障税を通じて、引退した人々に年金を提供しますから、引退者数に対する労働者数の割合が低下すればするほど、高齢者への年金の提供は難しくなります。国連の試算によると、2030年には、1人の引退者を養う労働者の数は米国では、わずか3人、日本では1.9人しかいなくなります。労働力人口に含まれるすべての労働者が就業しているわけではないことを考えれば、こうした数字は、さらに深刻なものとなります。
ニューヨーク連邦準備銀行の2002年の調査報告書によれば、米国も日本も、政策の選択肢は3つしかありません。給与税を引き上げるか、年金給付額を引き下げるか、あるいは、他の税収を社会保障に振り向けるかです。しかし、この報告書は、生産性について以下のような興味深い指摘もしています。それは、「経営者が生産性の向上に成功すれば、賃金の上昇は物価の上昇よりも速くなる。賃金の伸びが高ければ、今度は、社会保障税の税収が増える。従って、生産性の向上が予想以上に高ければ、労働者や政府に課せられる社会保障給付のための負担が軽減される。この効果は、米国や日本のように、年間の社会保障給付額をインフレ率によって調整する場合、特に著しくなる」というものです。
残念ながら、日本の生産性の上昇率は低下していますし、その程度とスピードは、G-7諸国で最大です。日本のいくつかの優等生的な産業は、世界で最も高い生産性を誇っていますが、その他の多くの産業の生産性は、他の諸国に大きく遅れをとっています。平均的に言って、日本の労働者1人当たりの生産性は、米国の労働者のわずか70%にとどまっています。金融サービス、流通、通信、医療サービスなど、他の諸国に遅れをとっている日本の産業には、技術や製品を制限する広範囲にわたる規制が存在します。こうした規制や、またある場合には広範囲にわたる貿易障壁が、これらの産業を競争から保護しています。競争に直面しない産業が革新に失敗した例は、歴史の中にいくつも見ることができます。さらに悪いことには、医療サービスや金融サービスを含むこれらの産業の多くは、最も大きな成長の可能性を秘めた産業です。競争を促進し、市場に新しい企業や製品が参入することを可能にする構造改革は、生産性の向上や経済成長を刺激する最も効果的な方法です。小泉首相の「改革なくして成長なし」という提唱は、正しいものです。
最後になりましたが、日米両国の銀行部門についてお話をしたいと思います。ご承知のように、米国は、1980年代後半から90年代初頭にかけて、銀行危機に直面しました。その時、米国は、スウェーデンや韓国が採用した企業再構築の政策はとりませんでした。米国が選択したのは、資産の早期売却でした。近年の不況、いくつかの産業における過剰投資あるいはバブル、そしてより経営に苦しむ外国企業に対する貸し付けによって、米国の銀行のバランス・シートは悪化しましたが、最近みられる不良債権の増加は、比較的穏やかなものです。不良債権の増加分の大半は、そのほぼ全体が大規模銀行による貸し付け行為、それも特に商業・産業向けの貸し付けによるものです。さらに、2002年に発生した貸し付けの質の問題は、放送関係や電気通信など特定の分野に集中していました。このことは、米国における最近の不良債権問題は特定の産業における問題であり、広範なマクロ経済的傾向ではないことを示しています。
日本のような発達した経済において、健全な金融システムは死活的に重要です。銀行制度を通じた預金者から投資家への資金の流れは、エンジン・オイルと同じ働きをします。銀行制度が故障して機能しなくなると、それは正常な経済成長や企業活動を窒息状態に追い込んでしまいます。銀行制度が不良債権によって押しつぶされれば、リスクや利益を正確に計測し、預金を最も収益性の高い投資に向かわせるという銀行制度本来の役割を果たすことができません。さらに、前にも述べましたように、銀行制度が病んでいると、中央銀行の金融政策も深刻な制約を受けてしまいます。
最近の銀行危機の経験は、銀行制度が抱える問題を一掃するためには、以下の四つの措置が必要であることを教えてくれました。
第1に、不良債権の規模を正確に認識する。 第2に、破綻した銀行は閉鎖する。 第3に、残った銀行は、債権のリスクを正確に計測し、損失に備えた十分な内部留保を確保し、慎重な経営をおこなうための十分な資産を維持する。 第4に、残った銀行の新しい経営陣が有能であり、経営をうまく行おうとするインセンティブがあたえられることを確保する。
金融庁による金融再生プランは正しい方向への一歩です。日本政府は、銀行による貸付金額、担保評価、銀行資産の分類にかかわる規制を強化する重要な措置を講じてきました。さらに、産業再生機構は、企業再構築・企業再生という難しい問題への取り組みを開始しました。これらの動きは、すべて、前向きなものではありますが、私は、これらの措置、さらには、必要な追加的措置をいかに実施していくかが、今後の鍵となることを指摘しておきたいと思います。
結論として、不良債権の処理、デフレ問題、そして構造改革はひとつひとつ独立した問題ではない、と申し上げたいと思います。これまでのお話の中で指摘しましたように、これらの問題は絡み合っています。これらすべての分野での前進は、勢いを生み出しますが、どれかひとつの分野でも前進がなければ、それは他の分野での継続的な前進を妨げる重しとなってしまいます。それでは、ご質問があれば、喜んでお答えいたします。


駐日米国大使