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アポロ11 号月面着陸ミッションの記録

 以下の記録は、「Apollo Expeditions to the Moon, NASA SP-350(アポロ月探査、NASA SP-350)」(エドガー・ M・コートライト編、1975 年出版)からの抜粋である。

乗組員

ニール・A・アームストロング 船長
エドウィン・オルドリン 月着陸船操縦士
マイケル・コリンズ 司令船操縦士

ミッションの目的

有人月面着陸の遂行と地球への無事帰還

ミッションのハイライト

打ち上げ 1969 年7月16 日午前9時32 分00 秒
フロリダ州ケネディ宇宙センター

アポロ11号の乗組員、写真左からアームストロング船長、コリンズ指令船操縦士、オルドリン月着陸船操縦士(写真 NASA)

 1969 年5月26 日にアポロ10 号が無事帰還・着水を 果たしたことで、有人月面着陸に初めて公式にゴーサ インが出た。

 アポロ11 号の乗組員全員がジェミニ計画の時代に すでに宇宙飛行の経験があり、何カ月もチームとして 特訓を受けていた。以下のミッション記録は、乗組員 のうちの2人が書いた本から抜き出した彼ら自身の言 葉を、地上との交信と記者会見の記録で補足したもの である。

オルドリン 打ち上げの日の朝早く、朝食を食べてい る時でした。NASA 長官のトーマス・ペイン博士から、 乗組員の安全がすべてに優先されること、そして何か 問題が起きたらミッションを中止するように言われま した。それから、さらに大変びっくりさせられる、今 までに前例がなかったことを言い渡されたのです。そ れは、万一今回のミッションを中止せざるを得ない事 態になっても、私たちは直ちに次の月面着陸ミッショ ンに再任命されるということでした。その内容も言い 方も、とても心強いものでした。

 朝早く起床し、朝食を済ませ、宇宙服の装着を始め ました。宇宙服の装着は多くの人の手を借りなければ ならない上に、手順が複雑でかなり力のいる仕事です。 月着陸船に乗り込む前にはもう1回、今度は1人でこ れをやることになります。

 マイク(コリンズ司令船操縦士)とニール(アーム ストロング船長)が、宇宙船の生命維持システムへの 接続という込み入った作業に入っている間、私は下の 階のエレベーターのそばで待っていました。15 分くら いの間、静寂の中に忘れ去られたような状態で1人待 っていました。高速道路と海岸は、見渡す限り、人や 車で埋め尽くされていました。紺ぺきの海原から、ち ょうど波が頭をもたげようとしているところでした。 眼下には巨大なサターン5型ロケットが、頭上には精 密極まりないアポロの姿がありました。私は、い つでも何度でも思い返したくなる、そんな数分間 を心に刻みつけながら、この待ち時間を味わって いました。

コリンズ これまでに飛行経験をさせてもらった こと、そしてロケットの上で待っているこの時間 がいつもと変わらないことに、いつもと同じよう に感謝していました。今回もいつもと同じくらい 緊張していましたが、それは慣れない状況から来 るというより、むしろ自分たちの任務の重大性を 理解していることから来るものでした。ミッショ ンを計画通りに遂行できるという確信は全然あり ませんでした。多分何があっても命だけは助かる だろう、少なくとも自分の命は守れるだろう、と 思いましたが、月面着陸と帰還が成功する見込み はせいぜい5分5分だろうと思いました。失敗す る可能性があることは無数にありました。私は白 人の男で、年齢は38 歳、身長は5フィート11 イ ンチ(約180 センチメートル)、体重は165 ポン ド(約75 キログラム)でした。年収は1 万7000 ドル、テキサスの大都市郊外に住み、自宅で育て ているバラには黒斑病が発生していました。そし て、落ち着かない気分のまま、月に向けてーそう、 月に向けて飛び立とうとしていたのです。

月面に降り立とうとしているオルドリン宇宙飛行士(写真 NASA)

オルドリン フロリダの海岸沿いで見守ってくれ た何千もの人々と、テレビを観ていた何億もの 人々には、打ち上げと同時に耳をつんざくばかり のごう音が聞こえたでしょう。ところが私たちに とっては周囲の騒音が多少増えた程度で、民間航 空機が離陸する時の騒音とはまるで比べものにな らないほど小さく、私たちは1分もしないうちに 音速を超える速度で飛行していました。

オルドリン 慌ただしい11 分が過ぎて、私たち は地球の軌道に乗りました。地球は、最初の宇宙 飛行の時と大して違いませんでしたが、私は地球 から目が離せませんでした。宇宙から見ると、地 球はほとんど穏やかに見えました。理性的に考え れば、地球では戦争が行われていることが分かる のですが、感情的にはそうしたことを理解するこ とができませんでした。再び頭に浮かんだのは、 一般的に戦争は領土をめぐって起きるものだし、 紛争は国境をめぐって起きる、ということでした。 しかし、宇宙からは、地球上に恣意(しい)的に 設けられた国境は見えません。地球の軌道を1回 半周回した後、プログラム通りサターンのエンジ ンが再点火され、私たちは地球の軌道から抜けて 月に向かいました。

最も荘厳な惑星

コリンズ 4日目はそれまでと全く違った感じが しました。9時間ではなく、7時間しか眠れず、 それも途切れがちでした。月に到着するまでエネ ルギーをできるだけ温存しようと集中して努力し たにもかかわらず、私たち、いいえ、少なくとも 私は、プレッシャーに押しつぶされかけていて、 蜜月は終わったこと、私たちの生身の体が危険に さらされようとしていることを誰もが分かってい る、と感じていました。最初のショックは機体が 旋回運動を止めて、月が視野に入るように向きを ぐるりと変えた時にやってきました。それまでほ ぼ丸1日、月を見ることができなかったので、そ の変化は衝撃的でした。それまでの私の人生で親 しんできた、空に浮かぶ平面的で小さい黄色の円 盤のような月はどこにも見当たらず、代わりにこ れまで見た中で最も荘厳な惑星がそこにあったの です。まず、月は巨大で、窓いっぱいの大きさが ありました。次に、月は立体的に見えまでした。 手を伸ばせば触れることができるのではないかと 思わせるほど、膨らんだ部分をこちらに向かって 突き出していました。星がまた見え始めたので、 その劇的な効果が一層増大しました。私たちが月 の陰に入ったので、見つけにくい星がまた現れた のです。

コリンズ 「アポロ11 号、アポロ11 号、こちら ブラック・チームです。おはようございます」。 彼らは私に呼びかけているのだろうか? 20 秒 もかかってマイクのボタンをようやく探り当てま したが、寝ぼけ声の応答になってしまったのは、 5時間くらいしか寝ていなかったからです。寝つ きが悪かった上、今度はなかなか目が覚めません。 ニールとバズ(エドウィン・オルドリンの愛称) と私は、朝食を準備し、月着陸船に移すいろいろ な物を用意しようと、3人とも大忙しでした。(そ の後)私は、ニールとバズをひと抱えもある装備 と一緒に月着陸船に乗せて…きちんとお別れのあ いさつをしました。「君たち、月面ではむちゃす るなよ…」「オーケー、マイク」とバズが明るく 応えたのを聞いて、私はスイッチを押して2人を 発進させました。そして鼻を押し付けんばかりに して窓に張り付き、動画撮影用カメラを作動させ ながら、2人が離れて行くのを見ていました。私 との距離が十分に確保できた時点でそのことを告 げると、ニールはその場でゆっくりと機体を旋回 させ、彼らが乗る風変わりな月着陸船の機体とそ こから伸びている4本の脚を披露してくれまし た。「イーグル号(月着陸船)には翼があるんだ」 とニールは大喜びしていました。

 それは名前の「イーグル」、すなわちワシとは 似ても似つかない代物でした。均整美も優美さも ない機体の上に脚をぎこちなく突き出して浮かん でいるさまは、空を飛ぶために作られた装置で、 これほど奇妙な形をしたものはない、と思わせる ものでした。私は4本の着陸ギアがすべて下がっ てロックされていることを確認し、それを報告し たついでにちょっとした嘘をつきました。「逆さ まだけど、イーグルは格好いいよ」

アームストロング 何回もプログラム警告が発せ られた後、降下の最終段階に入ったところで着陸 地点を目にした私たちは、とても大きなクレータ ーがあることに気付きました。ここには入らない でおこうと決め、予定された軌道に沿って飛行距 離を延長しました。エンジンで砂ぼこりがもうも うと舞い上がったため、これによって最終段階で 自分たちがいる場所の高さの判断が難しくなるだ けでなく、月面での並進速度が落ちるのではない かという心配も出てきました。着陸の最終段階で は、着陸船の足元の部分を地面にぶつけないこと が非常に重要なのです。

アポロ11号の月面着陸地点(写真 NASA)

アームストロング 月面に着陸すると、すぐに砂 ぼこりは落ち着いたので、私たちは着陸船の周り の見事な風景を見ることができました。大きいも ので4.5 メートル、6メートル、9メートルほど のクレーターや、小さいものでは直径が30 セン チメートルほどの多数のクレーターによって月面 にはくぼみができており、表面は非常に細かい粒 子で覆われていました。また、大小さまざまな大 きさの石が驚くほどたくさんありました。 飛行前の予測では、月の大気と重力の特性に ついて未知の部分がいろいろあったため、かなり の困難に直面すると見ていた専門家が数多くいま した。しかしこの予測は外れ、着陸後は月の重力 を大変快適に感じました。実際には、無重力状態 と地球の重力のいずれよりも、月の重力の方を好 ましく感じていました。

 いざ、はしごを降りていくと、地球で行った 月の重力のシミュレーションと大変よく似ている ことが分りました。はしごは苦労せずに降りるこ とができました。最後の1段は月面から約3.5 フ ィート(約1メートル)の高さがあったので、活 動を終えて月着陸船に戻る時に問題があるのでは ないかと心配していました。そこでカメラを降ろ す前に練習しました。

オルドリン ハッチを開け、私の誘導でニールが 小さな開口部から後ろ向きに出て行き始めました。それからほとんど永遠とも思える時間が経過 して、やっとニールの声が聞こえました。「これ は1人の人間にとっては小さな1歩だが…人類に とっては偉大な飛躍だ」という言葉です。それか ら15 分とたたないうちに、私も、ぎこちない足 取りで、後ろ向きにハッチから外へ出ました。そ して月面にいるニールと合流しようとしていたの ですが、ニールは昔からの旅行者の慣習に従って、 私が月に降り立つ瞬間を写真に写そうと、カメラ を構えて待っていました。

 いざ月面に足がついたときには、心は浮き立 っていましたが、体中に鳥肌が立つのを覚えまし た。すぐに足元に目をやった私は、月の砂ぼこり の特異な性質に興味をそそられました。砂浜で砂 を蹴ると砂はあちこち飛び散って、その飛ぶ距離 も長かったり、短かったりとまちまちです。とこ ろが月面では、砂ぼこりがさまざまな方向へ飛ぶ ときに、きちんと正確にほぼ同じ距離だけ飛ぶの です。

お菓子屋さんに入った男の子

アームストロング やるべきことがたくさんあ り、すべて終えるのが大変でした。月面では、ト ラブルはほとんどありませんでした。予想してい たよりもずっと少なかったのです。気持ち良く作 業できました。温度は高くなく快適でした。小型 の船外活動補助装置(EMU)、これは宇宙服と、 月面で私たちの生命を維持するバックパックを組 み合わせたものですが、EMUは問題なく機能し ました。主な問題は、やっておきたいことが山ほ どあったのに、そのための時間があまりにも少な いことでした。私たちは、お菓子屋さんに入った 5歳の男の子と同じように、目移りばかりしてい ました。

オルドリン 私は、自分の運動性をテストするた めにジョギングを始めました。走っているときも 奇妙な感覚を覚えたのですが、後でその時のフィ ルムを見るともっと奇妙に見えました。かさばる 宇宙服を着ていたせいで、私たちの動きはまるで スローモーションのようでした。すぐに、慣性が ずっと大きいことに気付きました。地球の重力下 では、たった1歩で走るのをやめることができる のに、(月面では)3~4歩で徐々に止まらなけ ればなりませんでした。地球での私の体重は、大 きなバックパックを背負い、重い宇宙服を着けて 360 ポンド(約160 キログラム)でした。月では たったの60 ポンド(30 キロ弱)でした。

 ある時点で、私は、月の表面は「とても美しい、 壮大なる荒涼」と感想を述べました。陰の部分の 深い暗さと、それ以外の月面の不毛な砂漠のよう な情景とのコントラストに衝撃を受けたのです。 月面は一面、くすんだ灰色から明るい黄褐色をし ていました。目が覚めるような、ある光景を除い て。それが月着陸船でした。黒、シルバー、そし て明るいイエローオレンジの熱被覆が施された月 着陸船は、全体的にくすんだ色の風景の中でひと きわ輝いていました。これまでにニールの宇宙服 姿を何千回も目にしていましたが、月面ではその 不自然なほどの白さが異常にまばゆく感じられま した。あたりを見まわしたら地球が見えました。 地球から見る月と比べるとずっと大きかったので すが、それでも小さく見えました。はるか彼方の 空で手招きをしているオアシスのようでした。

 月面で一連の作業が進行しているほとんどの 時間は、ニールがカメラを持っていたので、月で 撮影された写真で飛行士が写っているものは、ほ とんどが私の写真でした。地球に戻って月試料研 究所で写真を調べるまで気づかなかったのですが、ニールが写っているものはほとんどありませ んでした。おそらく、私が悪かったのだと思いま すが、訓練中にこのシミュレーションは一度もし ていなかったのです。

月面に立てた星条旗

オルドリン 実験の合間に休んでいる時、ニール が旗に取り掛かろうと言いだしました。2人がか りでようやく旗を立てましたが、危うく大失敗す るところでした。広報活動も、ほかのことと同様 に、練習が必要だったことは明らかです。入れ子 式の小さいアームが旗ざおに付いていて、旗をピ ンと張った状態で垂直に保てるようになっていま した。私たちは精一杯頑張りましたが、アームが 途中までしか伸びませんでした。そのため平らに なるはずだった旗には、パーマのような独特の波 模様がついてしまったのです。さらにがっかりさ せられたのは、直立させておくために必要な深さ まで、旗ざおを月面に突き刺すことができなかっ たのです。散々苦労してようやく真っ直ぐに立た せることができたのですが、場所が非常に不安定 でした。私は、テレビカメラの前で、米国の国旗 が月面の砂ぼこりの上に倒れるかも知れないとビ クビクしていました。

コリンズ 月周回軌道の4周目のことでした。「ど のような様子ですか?」「船外活動はとても順調 です。今ごろ2人は旗を立てているはずです」。 このような会話を地上としました。どうかこのま ま、何事もなく順調に経過してほしい。びっくり させられるのはごめんだ、と思いました。ニール とバズは大丈夫なようでした。息を切らせていな いので、無理はしていないはずでした。しかし少 なくともひとつ、驚かされることが待ち受けてい ました。非常に明瞭な音声でヒューストンから通 信が入り、米国大統領がニールとバズと話したい と言うのです。「光栄です」と、ニールが独特の 威厳を込めた口調で応じました。

「静かの海」に星条旗を立てたのは、その場所の所有権を主張するためではなく、人類初の有人月面着陸を成し遂げた国を示すためだった(写真 NASA)

 お決まりのデータや伝達事項ではなく、人を 鼓舞し、あるいは少なくとも感情を伝えるように 訓練された大統領の声が聞こえてきました。それ は、私たちには馴染みのない、講演者が話す時の ような調子でした。「ニール、バズ、私はホワイ トハウスの大統領執務室から電話で君たちに話し かけています。これは間違いなく、これまでで最 も歴史的な電話になるでしょう。(中略)宇宙は、 君たちが成し遂げたことによって、人類の世界の 一部となりました。君たちが静かの海から呼びか けてきたとき、地球に平和と静寂をもたらすため に一層努力しなければならないのだ、という気持 ちになりました」。何てことでしょう。私は今まで、 このミッションが誰かに平和と静寂をもたらすな ど、考えたこともありませんでした。私について 言えば、今回の月への旅は、私たち3人、特にそ のうちの2人にとって、危険に満ちたものである という認識しかなかったのです。

 しかしニールは長いこと沈黙し、受け取ったメ ッセージと同じだけのものを返しました。「米国 だけでなく、すべての国の平和を愛する人々の代 表として、興味と好奇心と未来に対するビジョン を持って月に着陸できたことは、大変な名誉で す」。(中略)これが本当に成功して、月の石がい っぱい入った箱を持ち、地球に対する新しい見方 がいっぱい詰まった頭で、無事に地球に帰還した ら、どういうことになるだろう? それをじっく り考えている暇もなく、私はあっという間にホワ イトハウスや地球から見えない位置に来てしまい ました。

オルドリン 滑車装置を使って、岩石を入れた箱 を積み込みました。積み込むのに予想よりも時間 がかかる上に、砂ぼこりも多く舞い上がることが 分かりました。私たち2人が装置と共に船内に戻 って最初にした仕事は、月着陸船の船室を加圧し て、石を詰めた箱、フィルムケース、再びコロン ビア号に接続されるまで不要なものをすべて収納 することでした。そこでブーツを脱ぎ、大きなバ ックパックを降ろし、月着陸船のハッチを開けて、 袋にいっぱいの空になった食品パッケージや尿袋 などと一緒にブーツとバックパックを月面に放り 出しました。私たちが全部投げ捨てている瞬間は、 地球でしっかり計測されていました。私たちが設 置した地震計は、予測していたよりずっと感度が 良かったのです。

 観光に費やす時間はありませんでした。私は わき目もふらずにコンピューターを操作し、ニー ルは姿勢表示計を読んでいましたが、私は旗が倒 れる瞬間を見ていました。(中略)3時間10 分後、 私たちは再びコロンビアに接続されました。 太平洋に着水する前日の夜に放送したア ポロ11 号乗組員出演のテレビ番組より 抜粋

コリンズ 私たちを軌道に乗せたサターン5型ロ ケットは、信じられないほど複雑な機器ですが、 あらゆる部品が完璧に作動しました。(中略)多 くの人々の血と汗と涙の結晶です。まず、工場で この機器の部品を組み立ててくれた米国の労働者 の皆さん。次に、組み立て中のテストと、組み立 て後の再テストを念入りに実施してくれた数々の テスト・チームの人たち。最後に、有人宇宙船飛 行センターの管理部門、ミッション計画立案部門、 飛行管制部門、そして最後に取り上げますが決し て軽んじてはいけない部門として、乗組員訓練部 門の人たち。この活動は、どこか潜水艦の潜望鏡 と似ています。注目されるのは私たち3人だけで すが、水面下には数えきれないほど多くの人々が いてくれるのです。そのすべての人に「心からあ りがとう」と伝えたいと思います。

オルドリン 今回のミッションは、単に月に向か う任務を課せられた3人の男の話にとどまるもの ではありません。また、政府と産業チームの努力 や、さらには一国の取り組みさえも超えています。 私たちは、今回のミッションは、未知のものを探 求しようとする全人類の飽くなき好奇心の象徴だ と思っています。今私たちは、宇宙探査において 拡大した役割を担う能力が十分にあることを感じ ています。振り返ると、宇宙船のコールサインを 選ぶ時には苦労しましたが、「コロンビア」と「イ ーグル」というコールサインには、ことのほか満 足しています。私たちの飛行の紋章は、オリーブ の枝を運ぶイーグルであり、地球から月に平和の 普遍的な象徴を運ぶことを意味していることも、 喜ばしいことでした。

アームストロング 今回の飛行は、まず、歴史と 先人となった科学の分野の偉人たち、次に自分た ちの意思で(月へ到達したいという)願望を表明 してきた米国人、次にその意思を実行に移してき た4つの政権と連邦議会、そして私たちが搭乗し た宇宙船の「サターン」、「コロンビア」、「イーグ ル」、そしてあの小さなEMU、つまり宇宙服お よび月面で小さな宇宙船の役目を果たすバックパ ックを製作した組織と産業チームが、それぞれの 責任を担ってきた成果です。宇宙船の建造、設計、 テストに携わり、全身全霊をこれらの宇宙船に注 いでくれたすべての米国人に対し、特別の感謝を 捧げたいと思います。今夜、これらの人々に特別 の感謝の言葉を申し上げ、そして今夜これを聞き、 見ているすべての人たちに神の祝福がありますよ うに。アポロ11 号から、おやすみなさい。